飯田市街地の西北方にそびえる秀峰風越山(かざこしやま)の山頂直下に建つ。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・菊理姫命(くぐりひめのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)をまつり、山麓にある白山社里宮とその神宮寺である天台宗白山寺と一体の関係をなしていた。
奥社本殿は間口柱間が4・8メートルの規模の三間社流造(ながれづくり)、こけら葺の建物で、全体が弁柄(べんがら)塗り等で彩色されている。この本殿の造立時期は、昭和14・15年の解体修理の際に発見された墨書銘により、永正6年の建立と判明している。
本殿手前に接続する幣殿・拝殿が享保16年(1731)に建立され、同時に本殿向拝の側面も板壁・板戸で塞がれたため、本殿正面の絵画彩色が今日まで保存状況よく残されることとなった。扉や羽目に絵が描かれている点がこの本殿の特徴でもある。
母屋正面は柱間三間とも幣軸(へいじく)つき両開きの板扉となり、全体が黒漆塗りされ、扉の表側に幕を画き、背面には竜・亀・鳳凰(ほうおう)・麒麟(きりん)・白虎(びゃっこ)・白沢(はくたく)などの神獣の絵を画いている。母屋背面の中央間の板壁に滝見観音を画き、この中央間だけ外開きの板扉を釣る。
この本殿は、屋根・垂木(たるき)を支える桁(けた)を母屋では二本隣接して並べ、向拝では三本隣接して並べている点に特徴がある。このように複数の桁を隣接して並べる形式は全国的には珍しいが、県内では室町時代後期のいくつかの建物に共通する形式である。また、独特の形の手挾(たばさみ)は筑摩神社本殿(松本市、重要文化財)と同一で、大工に関連性が伺える。