大河原は、室町時代前期に信濃宮と称された宗良(むねなが)親王(後醍醐天皇の第八王子)が、土豪香坂高宗らに守られて三十余年、大河原を拠点に各地を転戦した地である。この福徳寺は、天台座主であった宗良親王が天台宗の寺院として建てたものとも推測されている。現在は無住であるが、以前は福徳庵とよばれ、曹洞宗の寺であった。
本堂は桁行三間、梁行三間、入母屋造、こけら葺の建物で、周囲に切目縁をめぐらす。外回りの円柱のうち隅の柱上部にのみ舟肘木を置き、ほかは直接桁を受けている。軒は一軒(ひとのき)の疎垂木(まばらだるき)とする。内部は竿縁天井(さおぶちてんじょう)で、かなり後方によって来迎柱を立てて仏壇を設けている。
建築年代は、技法から判断して宗良親王の時代の造営とみている。長野県内の仏堂としては中禅寺薬師堂(上田市、重要文化財)に次いで古く、簡素であるがしゃれた意匠の小堂である。