竹ノ内家は、天竜川を東に望む段丘上にあり、当主で14代目にあたると伝えられる旧家である。
主屋の建築年代は、正面の棟束(むなづか)の内側に打たれていた棟札から、寛政11年(1799)と判明している。
主屋は、間口七間半、奥行八間の本棟造で、正面には間口全幅に渡る太い妻梁が通り、座敷の表側はこの梁より内側に五尺後退して、土庇となっている。下伊那地方の本棟造では、松下家(国重文 下伊那郡大鹿村)のように下屋庇を付ける形式より、竹ノ内家住宅のように二階を迫り出して一階に土庇をとる形式の民家が多い。竹ノ内家はその形式の古い遺構といえる。
間取りを復原すると、入口から奥に土間が通り、居室部は中央に居間(ヨコザ・ナカノマ)があり、表側に客座敷を二室とり、裏側に内向きの居室を三室設けた形となる。
竹ノ内家住宅は、江戸時代中期までの本棟造に比べて間取りでは居室の分化が進んでおり、構造では屋根裏の空間を広くして養蚕に使うという実用面の工夫がみられるなど、江戸後期の本棟造の特徴をよく示している。