開善寺は、鎌倉時代に伊賀良庄の地頭であった北条氏一族の江馬氏によって創建され、のち信濃守護となった小笠原貞宗が開基となり、建武2年(1335)に元の名僧清拙正澄(大鑑禅師)を京都建仁寺より招聘して開山とした。寺は暦応元年(1338)には諸山に列し、応永34年(1427)には十刹となっている。また、文和4年(1355)の銘のある梵鐘(長野県宝)も残されている。
山門は、乱積基壇上に建つ三間一戸の楼門であるが、二階を欠くので一階部分に仮屋根をかけた切妻造、銅板葺の形式となっている。中央通路部分は柱と小脇壁はあるが、扉を入れた形跡がなく、未完成のままの門であったらしい。
柱上部の木鼻は古風であるが、通肘木(とおりひじき)を用いる手法、大瓶束(たいへいづか)の結綿(ゆいわた)の形式などから判断して、開善寺中興の天文18年(1549)頃に再建された建築と考えられる。
なお、境内の諸建築には、寛永8年(1631)の鐘楼、享保4年(1719)再建の本堂、安永4年(1775)の二の門(惣門)などがある。