その名のように、江戸時代に槫木を完納した祝いに踊ったといわれている。かつては祝い事のあった家、現在は農村交流センター)を宿として、「宿踊り」をしたのち、「岡崎」「祇園囃子」などを囃しながら池野社へと向かう。「鳥居踊り」をして参道を上って「御宮踊り」をし、ふるまい酒ののち「笠破り」を村内など神々に奉納し、笠や柳・旗などを神社に納めて終わる。踊りは柳と灯籠を中心に右回りに大太鼓・小太鼓を左右に振って叩いてまわる。
この祭はかつて7月20日から毎日、「南山」とよばれた一帯六ヶ所で順を追っておこなわれたが、その最終日が梨久保であった。現在では他に泰阜村温田に伝承される。